映画【わたしを離さないで】フィクションと思えないリアルな重さ、痛み (ネタバレ感想)

投稿者: | 2019年3月25日

わたしを離さないで


(C) 2010 Twentieth Century Fox/シネマトゥデイより

公開年:2010年
制作国:イギリス/アメリカ
原題:Never let me go
監督:マーク・ロマネク
原作:カズオ・イシグロ
出演:キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド
キーラ・ナイトレイ、シャーロット・ランブリング、他

STORY
外界から隔絶された寄宿学校ヘールシャムで、幼いころから共に日々を過ごしてきたキャシー(キャリー・マリガン)、
ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)。
普通の人とは違う“特別な存在”として生を受けたキャシーたちは、
18歳のときにヘールシャムを出て、農場のコテージで共同生活を始める。
(シネマトゥデイより)

英米文学を勉強していたら通る可能性が高いであろうカズオ・イシグロ先生原作の映画です。
(ノーベル文学賞も受賞されたので、今後は更に英米文学が盛り上がってくれたら嬉しい!)
自分も英米文学を専攻しており、院時代に別のカズオ・イシグロ作品の映画を研究で観たのですが、
20世紀初頭などの歴史小説が続いているイメージのカズオ・イシグロ先生の作品なので、
この作品がまさかSFにあたるとは、途中まで全く想像がつきませんでした。
全体的に緑が多く晴れ晴れとしていない、そんなある意味イギリスっぽいなと思える情景の中で
物語は始まって終わっていきます…。

この「わたしを離さないで」は実は綾瀬はるかさん主演のドラマ版を先に観ていて、
ドラマ版では舞台が日本だったのですが、日本にあまりなさそうなデザインの寮など
可能な限り原作の空気に近づけたのかなという印象を受けました。
(後から映画を観て分かりましたが、建物の雰囲気などは映画版にかなり近かったです)
ドラマはオリジナルキャラとして、中井ノエミさんが人々を集めて目の前で自傷して
自分達も人間なんだと訴えかけながら死んでいったシーンがいまだに強く残ってます。

この先、結末含むネタバレが続きます。ご注意ください!!

「提供」という物語上存在するシステム

提供というのは、臓器は勿論、あらゆる部位を適合タイミングで差し出さないといけないシステム。
主人公のキャシー達はそのために育てられてきた、悲劇の子供たちです。


(C)2010 Twentieth Century Fox/映画.comより

序盤の未来回想を除いて視聴者がキャシーの視点を通して一番最初に見る現実は、
提供の途中のハンナという女性が、左目にガーゼを付けられて寝ている衝撃的な光景。
つまり、説明はなくても「目」を提供したんだと分かってしまう。

ダークチョコレートを差し入れに持ってきたキャシーは、
「提供(手術)の後に食べてね」と彼女に伝えたにも関わらず
ハンナはその日の手術で亡くなってしまう。

この物語の残酷なところがそのあたりで説明されるが、
この提供というシステムは、提供者が死ぬまで続きます。
提供者となった人物は提供する部位が多ければ多いほど
術後に体力が戻らなかったりして亡くなってしまい、
だけど生きていたいという本能もある。

しかし、生きていればいるほどの身体のあちこちが取られてしまい、
まともな生活も出来ないくらい影響が及ぶ。
そして、4回ほどの提供をしてもまだ生きていられた場合は、
意識がなくなった状態で可能な限り提供をされ続けてしまう。

その説明がされた時、じゃあどうすればいいの?
数回提供してそれでも生きていられたら、
もう後は免除してくれたっていいのに…充分すぎるくらい人の役に立ったのに、
とやるせない気持ちにさせられてしまいます。

ここまでで、本当に残酷すぎる話だなと思うと同時に、
形こそ違えど、世界のどこかにはこういう事があるのではないだろうか?
と寒気がするほど、あくまでストーリーは近未来のような要素を持たず、
自然と、当たり前の生活と人々で溢れて現実だと思わされてしまう。


(C)2010 Twentieth Century Fox/映画.comより

キーラ・ナイトレイの演技が圧巻過ぎる…

キャシーの幼馴染であり恋敵のルースを演じるのは、
英米文学作品の実写化で度々高い評価を得ているキーラ・ナイトレイ。

注意:この画像は映画とは関係ないやつっす

Bobby Bank / WireImage / Getty Images/シネマトゥデイより

髪型やメイクも勿論あるけれど、提供を始める前と、
10年後(提供を経てボロボロになっている)では全く顔が違う。
痩せ細り、時折目の焦点も定まっていない。
普通に話しているのに、その瞬間ふと気が抜けると力尽きてしまうのではないか、
と思えるくらいに末期の状態を痛々しいまでに全力で演じている。

だからこそ、再会のタイミングで今までキャシーにしてしまった行動を謝り、
少しでもキャシーとトミーが長生き出来るようボロボロの身体で訴えかける姿はとても悲しいです。

そして、次のシーンは個人的に一番この映画で残酷でショッキングだと思えるシーンで、
2人が長生きする事を祈ったルースがいよいよ亡くなるシーンです。
ルースが目を見開いた状態で淡々と彼女の臓器が摘出され、
摘出後は医師連中がそのまま言葉を交わすこともなく彼女を放置して、
目を開いたまま一切動く事のないルースだけが画面に残される、
という一連の流れをワンカットで撮っています。
つまり、ここでルースは亡くなってしまったんだという事を、
あえて言葉を使わずに
目を見開いたルース、開腹された状態での放置、術後放置、
という視覚的な三段階のショッキングな画によって、伝えています。

言葉でなく画で伝えたというのは結局、
彼女のというのはこの世界では臓器摘出のための使い捨てで、
尊厳も何もなかったんだと思わせてきます。
たった1分のこのシーンだけで観ている側はどん底になります。

トミーの唯一と思えるくらいの大きな感情表現

おどおどしていても人がよさそうなトミーが終盤に見せた感情、それは、絶望
臓器提供の猶予を申請したが叶わなかったトミーは、その帰り道に思い切り絶叫します。
幼少期に自分達がこういう運命を辿ると告知されている事もあり、
比較的全員がそれを受け入れています。
トミーはそれでも運命に抗おうとしたのだろう、
勿論キャシーとの仲がやっと自然に戻ってきた時というのもあるし、
死んでいったルースの想いもあったんだと思います。
だからこそ、それを打ち砕かれた時の絶望の叫びが、
物語終盤になって観ている側に起きている事の残酷さを、
ルースの死のすぐあとに見せて表現しているのでしょう。

いつもなら色々な作品に無礼なまでにツッコミしていますが、
この作品についてはツッコミどころはなしです。

とにかく重々しい雰囲気が終始続き、そして希望が生まれては打ち砕かれていく。
本来ならば絶望に満ちた作品だと捉えられても仕方ないのですが、
その中にある小さな希望に必死にすがろうとするキャシー達や、
重ね重ねになりますが、これ本当にフィクションなの?現実にないの?
と度々思わされる現実的な風景と現実にあり得る臓器提供というシステムで
自分や大切の人の命の事を振り返るきっかけになるんじゃないかなと思います。


(C)2010 Twentieth Century Fox/映画.comより

一方で、寮で子供たちの描いた絵を先生がどこかに送っていたり、
キャシーがある時に狂ったようにアダルト雑誌を読み耽ったり、
色々謎の行動があるのですが、そのあたりも明かされていきます。
ある種のミステリー要素と言えるかもしれません。

とにかく、重く、だけど読むべき、観るべき文学史に残る一作です。
ケント・ビターでした!

 

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